一隅を照らす

協和技研株式会社

代表取締役社長

杉山 吉彦

令和だからこそ「手作り」にこだわる会社

日本の製造業をめぐる現実は厳しい。人口減少や高齢化、後継者不足で、事業承継やM&Aのニュースは日常茶飯事だ。そんな中、茨城県筑西市で「人の手」にこだわり、地域に根ざす企業がある。

 

協和技研株式会社の創業者であり、代表取締役社長の杉山吉彦氏は、前身企業の倒産危機を引き受け、ゼロから会社を立て直してきた人物だ。

終わった、と直感した

商業高校を卒業後、最初に入社したのは大手インフラ子会社。「待遇も良く安定しているけど成長がない」と1年半で辞め、その後セブン-イレブン・ジャパンや損害保険ジャパンでキャリアを重ねた。

 

しかし転機が起こる。「2011年に東日本大震災が発生した際に『家族の近くで働きたい』という思いが強くなりました。そこで地元に戻ったわけです。すると、自分も妻の家族すらも知らぬ間に義父が経営する町工場が倒産寸前の状態だったんです。帳簿を見て『これは終わった』と直感してしまいました。それでも、当時その会社にはまだ従業員が30人ほどいましたから、彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないと強く感じました。要は、独立したくて起業したわけではなかったんです(笑)」

 

その強い責任感をもって、2017年に協和技研を設立した。前身企業の影響から金融機関から資金調達ができず預金残高30万円まで追い込まれたこともあった。それでも資金繰りを工夫しながら事業をつなぎ、紆余曲折を経て今では20名以上の従業員を抱える会社に育てた。

 

その経営スタイルはユニークだ。残業はさせない、土日祝日は休み、利益が出れば賞与として社員に還元する。食事支援やメンタルヘルスケアといった福利厚生も整備している。「頑張った分は返す」のが基本姿勢だ。その分現場に任せる裁量は大きい。ただし「いざとなれば謝るのが社長の仕事」と杉山は言葉を紡ぐ。

安請け合いはしない

協和技研の仕事は、一言でいえば「手作業のプロフェッショナル」に尽きる。ロボット関連部品や照明器具、自動ドアメーカーのレール部品、海外調達品の受入検査代行といったニッチな分野まで、多様な案件を引き受けている。

 

「うちでできることなら何でもやります。ただし手作業でしかできないことに限りますがね」ときっぱりと言い切る杉山。自動化が当たり前の時代に逆行しているようにも見えるが、だからこそ大手が手を出しにくい領域で強みを発揮できる。数個単位の小ロットから数十万個規模の大量生産まで対応可能。まさにその柔軟性こそが武器なのだ。

 

しかし、そんな協和技研でも一つだけ徹底していることがある。それは、『絶対に安請け合いはしないこと』。単価が合わない仕事はどれだけ実現可能でも断るのだ。なぜなら「社員を守り生活を豊かにしていくのも経営者の責任だから」。そう語る杉山の言葉には、独特な臨場感がある。

 

一隅を照らすのはあなた

茨城には大手メーカーの拠点や研究機関が集まり、古参企業からスタートアップまで幅広い顔ぶれが揃う。東京へのアクセスも良く、コストは都心に比べて低い。この環境を活かして商談会や展示会に積極的に参加し、協和技研は新規案件を獲得するきっかけを得ている。しかし、と杉山は続けてこう語った。「結果的に仕事をいただける決め手になるのは、現場に立っている担当者様との信頼関係がどれだけ大きくなったか、これに尽きます。我々のプロダクトと、我々を、間近で見ていただいていますから」

そして、杉山は次のことばを添えた。「不安の9割は実際には起きませんので、迷っているならまずは行動に移してやってみること。行動しないと失敗もないけど成功もないので。そしてなにより、自分の仕事に誇りを持ってほしいですね。どんな仕事にも貴賤はなく社会的な意義があって発生していて、必ず誰かの役に立っているわけですから。その仕事を実生活や社会に活かすかどうかは自分次第。でもせっかくなら活かす方が、面白いですよ」

境遇や環境に嘆くのではなく置かれた場所で咲きなさい。どんな立場であっても、どんな状況であっても、責任をもってやり遂げることで、次の未来につながるから…杉山の言葉一つひとつには、幾多の困難を乗り越えてきた者だけが持つ重みと、未来への確かな希望が満ち溢れていた。

協和技研株式会社

代表取締役社長

杉山 吉彦

1986年茨城県筑西市生まれ。鬼怒商業高校卒業後、大手インフラ子会社に入社。以降、セブン-イレブン・ジャパン、損害保険ジャパンなどで経理・営業を経験。義父が営んでいた町工場の破綻を機に2017年協和技研株式会社を設立し、代表取締役に就任。現在も製造業の再生の傍らロータリークラブや青年会議所に所属し地域発展に尽力している。
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