困難から 逃げてはいけない

株式会社HYKヒューマンサポート

代表取締役

大貫 和彦

牛久市にある製造業特化型人材派遣会社

いまや人材派遣は、企業にとって欠かせない労働力の調達手段となった。一方で、働く側には「不安定」「使い捨て」といった負のイメージが根強く残る。牛久市に本社を構える株式会社HYKヒューマンサポートは、そんな業界の常識に真正面から挑んできた企業だ。

代表取締役の大貫和彦は「働く人が正社員よりリスクを負っているのに、なぜ賃金が安いのか」という素朴な疑問を出発点に、派遣の価値を再定義する挑戦を続けている。

派遣業界に漂う「違和感」

HYKの原点。それは、大貫自身が派遣業界の現状に深く向き合ったときに芽生えた「この状況を自らの手で変えていかなければならない」という強い思いにある。それは、派遣社員が十分に尊重されず、不遇な立場に置かれる場面に直面したからこそ、必然に生まれた。彼はそこで、心の奥底から変革の必要性を感じることとなったのだ。

副社長の齋藤信明とは、前職で営業所長同士として切磋琢磨したライバルだったという。数値を競い合い、互いに奢り合う関係から始まった縁が、のちに経営を共に担うきっかけとなったという。「彼が会社を立ち上げる際に声をかけてくれましたが、すぐには合流できず…しかし、その後も定期的に連絡をくれ、彼の派遣社員や従業員に対する思いや考え方に共感し、最終的に営業所長として入社することを決めました」と齋藤は当時を振り返る。

2017年に設立。もちろん順風満帆ではなかった。リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍といった逆風に加え、東京進出時には急な組織拡大により退職者が相次いで起こり、組織が回らない事態になったことも。大貫は「勢いだけでは会社は回らないと痛感した」と、心の内を明かした。この挫折が、後の強固な経営基盤を築くトリガーとなる。

平均出勤率98.8%を達成した2つの根拠

HYKヒューマンサポートは、製造部門を中心に人材派遣・職業紹介・業務請負・官民アウトソーシングを展開している。製造部門とは工場や倉庫など、物流に関わる分野を指している。前職でこの分野に特化したノウハウを獲得している大貫だからこそ極められる専門領域だ。

そんな同社のポイントはアナログな温かさだ。給与明細の手渡しや現場訪問といった、一見効率の悪い取り組みを大切にしている。大貫は「AIマッチングやWeb応募が主流の時代だからこそ、人にしかできない気配りが差別化の要素となります」と語る。

独自の強みも紹介したい。派遣開始から1年が経過した後、派遣先の企業がそのスタッフを直接雇用したいと希望した場合、通常発生する紹介料を無料で受け入れる「ゼロ派遣」は、企業側からするとコストを気にせず優秀な人材を確保でき、派遣社員は安定した直接雇用への道が開かれる。

また毎年のように上昇する最低賃金への対応だけでなく、派遣期間中のリスクも考慮し、より多くの還元を行いたいという思いから生まれた「昇給制度」も存在。出勤率の基準を満たすごとに、派遣社員の時給は毎年100円ずつ上がっていく。この2つの制度により平均出勤率は98.8%に、働きやすさとやりがいの両立を実現した会社なのだ。

困難から逃げてはいけない

将来的には全国展開を目指すというHYKヒューマンサポート。大貫は「派遣を“安く使う手段”ではなく“生き方を選べる働き方”に変えたい」と語る。齋藤も「昇給制度や退職金制度が広がれば、派遣社員が安心して働ける環境が整う」と力を込める。

派遣業界の「常識」を覆し、人に優しい新たなスタンダードを築こうとするHYKヒューマンサポート。効率化やデジタル化が進む社会にあって、同社の挑戦は、あえてアナログにこだわる逆張りの戦略でもある。だがその根底にあるのは、「最後は人で決まる」という信念だ。

「働くということは、社会と、人とつながるということ。だからこそどんな仕事を選んでも、必ず壁にぶつかる時が来ます。その壁を乗り越えるか否かは自分次第ですが、その経験から逃げずに挑戦することが、自分を成長させてくれるはずです」

株式会社HYKヒューマンサポート

代表取締役

大貫 和彦

1981年、茨城県生まれ。2003年に株式会社クリスタルグループへ営業として入社後、2005年に株式会社セルマつくば営業所責任者に就任。2008年に茨城県土浦市で株式会社HYKを創業し、2017年に株式会社HYKヒューマンサポートを設立、代表取締役に就任。2025年には、東日本と西日本にグループ化し、より各地域に根ざした新たな体制を築き、現在に至る。
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